県立奥武蔵自然公園

 

 

・公園の歴史

 

       

 奥秩父、奥多摩という呼び方があり、飯能周辺を奥武蔵と呼んでいる。いつから、誰がということになるが、これは武蔵野鉄道開通と大いに関係がありそうである。

池袋から飯能へ、そして吾野まで延長されるとハイキングにやって来る東京方面の人たちが多くなった。武蔵野の奥地、すなわち奥武蔵の名称となったのであろう。

 昭和25年12月、飯能地方の首長と議会議長が連名で埼玉県へ陳情書を提出している。飯能町、原市場村、名栗村、高麗村、東吾野村、吾野村の一町五村である。

その表題は「飯能地方自然観光地指定に関する陳情書」というものであり、内容は埼玉県の施策で自然観光地を指定するらしいが、飯能地方を県内最適地として指定してほしいというものであった。

 その後、埼玉県は「埼玉県立奥武蔵自然公園」の名称で、昭和26年3月9日に飯能周辺地域がしていされたのであった。ここでは奥武蔵の範囲が若干広げられ、入間市の一部も入れられた。

(「飯能の住民が燃えた時」 浅見徳男 著 平成21年5月20日発行 より転載)

・公園の範囲

     

 

 

 

 

 

県立奥武蔵自然公園

   指定年月日:昭和26年3月9日

   関係市町村:日高市・飯能市・入間市

   公園面積:21,839ha

   公園の特徴:丘陵

   公園内の自然歩道:奥武蔵自然歩道

   関東ふれあいの道:(埼玉県抜粋)

      1.水源の道

      2,奥武蔵の古刹を訪ねる道

      3.伊豆ケ岳を超える道

      4.峠の歴史をしのぶ道

      11.義経伝説と滝のある道

      12.グリーンラインに沿った道

 

 

1.水源の道

 

 

 

 

2,奥武蔵の古刹を訪ねる道

 

 

3.伊豆ケ岳を超える道

 

 

4.峠の歴史をしのぶ道

 

 

11.義経伝説と滝のある道

 

 

12.グリーンラインに沿った道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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