大 森 の 池 フ ァ ン ク ラ ブ  

 

『大森の池ファンクラブ』活動報告        1999.6.13

 埼玉県を代表的する荒川水系に属する新河岸川の支流に「不老川(ふろうかわ) 」が有る。

江戸時代の文献には「年不取川(としとらずかわ) 」と記されており、今でも地元では「不老川(としとらずかわ) 」と呼んでいる。狭山丘陵から流れ出した、いくつかの小さな流れを集めて不老川は生まれる。入間市から所沢市、狭山市を抜けて川越市で新河岸川合流する全長17.4kmの川です。

伝説によると、昔から歳とりの節分の頃になると、それまで滔々と流れていた水がかれるので、これは川が歳をとりたくないからだと言われ、人々はいつしかかわを「としとらず川」と呼ぶようになった。

近年では、生活排水のために水はかれないが、汚れた川になってしまった。流域の人達は清流と自然を戻そうと、川の保全に力をそそいでいる。そんな不老川でも大雨が降ると増水して、しばしば氾濫し流域の農家の人々の生活を脅かしました。

そして、1988年〜1991年にかけて洪水対策のために掘られたのが「大森調節池」です。その後何回かの掘削工事が有り、現在では敷地6.43ha内池部分3.8ha、97300?の容量を持っている。

実際掘削してみると地下水位が高く、冬の一時期を除いては地下水が溜まるという状態で、防水壁の無いままになっており、池には次第に植物が繁り、生きものたちが集まって来ており、豊かな生態系が出来上がりつつあります。

人々も集まり、何時しか『大森の池ファンクラブ』が出来ました。

 歴史と活動記録

1830年(文政13)『新編武蔵風土記稿』巻之五十九 入間郡之四 山口領駒形村・二夲木村の項に「年不取川」の記載あり

   (明治初期)『大日本国史』 武蔵国 入間郡の項に「不老川(としとらず)」の記載あり

   (昭和初期)『武蔵野歴史地理』 宮寺村の項に「年不老川(としとらず)」の記載あり

1983年(S58)  大森調節池の土地買収が始まる

1988年(S63)〜1991年(H3) 入間市による掘削工事(63,000m3)

1991年(H3)    飯能土木事務所 流入口工事

1993年(H5)3.17〜7.30 飯能土木事務所掘削工事(約10,000m3)

1993年(H5)11月  広域の市民団体(水と緑のネットワーク)が飯能土木事 務所と入間市に池のビオトープ化を訴える要望書を提出

1994年(H6)7.21〜12.20  飯能土木事務所掘削工事(約5,600m3)

   現在 97,300? 6.43ha(内池部分3.8ha)暫暫定(1年に1回の洪水に対応)

   将来 150,000? 7.7ha暫定(3年に1回の洪水に対応)

       850,000? 32ha基本計画

1997年(H9)5月  河川法の改正が有り、治水、利水に新たに環境が加えられた

1997年(H9) トンボの産卵のために開水面をつくるため池の中の草刈りが飯能 土木事務所より許可された。同時に将来拡張工事にかからない所であれば、という条件で植林の許可を頂き、敷地の一部の管理を任されたのです。

(2000m3の占用許可を取る)

森づくり

1997年(H9) 11.3  林の仕組みと林の造り方の勉強会

        12.14  第1回植樹作業(約60本)

1998年(H10)2.14  モデル林の植生調査

        3.28 「大森調節池の生きものたち」スライドと観察会および植樹作業(コナラ、クヌギなど約130夲)

        5.31  第1回下刈り作業

        7.25  下刈りと水辺の生きもの調査

        8.22  池の中の草刈り

        11.28 「ミドリシジミの森づくり」県主催に協力し植樹(ハンノキ300夲、コナラ・エゴ・クサギ100夲)

1999年(H11)3.27  植樹作業

        5.30  下刈り作業

 

カエル救出作戦

大森の池の周りは北側に不老川があり、他の三方はすべて道路に囲まれています。その先に茶畑と少しばかり残った雑木林があります。この池で毎年カエルの産卵が見られ多くのカエルたちが育っていました。ところが、近年車が増え交通事故で道路横断が出来ないカエルが多いことが解りました。

1998年(H10)2月〜3月 大森の池ファンクラブの出来る前から、池に関心の有る人達によりカエル救出が行われていました

1999年(H11)2.14〜3.31 今年は大森の池ファンクラブの連絡網を使い大勢の人達の協力でカエル救出大作戦が行われました

カエルたちは茶畑や林で寒い冬を過ごすと、春先まだ寒い頃の雨の降る夜に自分の生まれた池に向かうのです。気温や地中温度を観測しながらその日を待ちました、2月中旬からは雨が降ると仲間の一人が夕方池まで見に行きました。今年は雨が少なく、ようやく3月に入ってから電話連絡網による連絡があり、いよいよ出動と成りました。池の周囲の道路に分かれてカエルたちの横断の手助けをするのです。

3/7(日) 雨  気温6℃ 18:00〜21:20 アカガエル16匹救出

3/9(火)小雨 気温3℃ 18:00〜20:00 気温が低くカエル動かず

以下、作業は3月末まで雨降りの日に10回行われたが、5回はカエル動かずに空振りもあった。参加された方は延べ34名、救出されたカエル310匹を池に渡すことが出来ました。自力で渡ったものも相当数いるものと思われる。池では100数箇所に卵塊が産み付けられて居るのを確認した。早く卵からかえって元気に育って欲しいと思っている。生態系にあまり手を入れることは良くないが、人の行為によって生物が滅びてしまうことは避けたいと思っています。

それでも沢山のカエル達は交通事故に合い、恒久的な対策が望まれる。

 

メダカ救出物語

森づくり・池の中の保全・自然観察会・・今回はこの大森の池でのメダカのお話しです。

'97年2月下旬〜4月上旬まで池の水はかれてしまいましたが、その後水深20?〜40?を保っています。'98年の冬は水はかれずに済みました。

この間'97年夏頃から池にメダカが居ることが解り始めました。何処から来たのだろう位に思っていました。全国メダカ調査の事を知り'98年5月に調査をして2匹を捕獲し報告を致しました。池の中には多数居るらしい事は解って居たのですが、その後大事件が起きたのです。

'99年1月に入ってから池の水はどんどん減り、2年続いた豊かな水は伝説どうりカラカラに干上がってしまいました。

この間、大森の池ファンクラブの人達は各々池に行きメダカ救出を行いました。

みんなの話しを纏めると、池には200匹以上のメダカが居たそうで4人の人で90匹ほど家に持ち帰り育てています。残りの相当数がギンブナやモツゴとともに、コサギやカラスの餌になってしまいました。

4月中頃より再び水は溜まりだし豊かな自然が戻り始めており、時期を見てメダカの学校を再開するする予定です。

それにしても不思議な「大森の池」自然の偉大さを見つめています。

 

これからの大森調節池

 今環境問題に関心が寄せられております。先人たちの苦労を無駄にしないよう自然保護の活動を継続させて行くことが何よりも大事と思います。特に水辺の良い環境を回復することが重点だと思います。大森の池の活動も始まったばかりです、多目的調節池にするために、まだまだ木を植えて森をつくらななければなりません、動物たちがこの池を中心にして生けて行ければと思います。そこに私たちがおじゃまさせてもらう様になり、そして、ここが加治丘陵と狭山丘陵を繋ぐ拠点になれば更に申し分ないと思います。

行政の協力を得ることも大切だが、自然を愛する市民を一人でも多く結集して活動を続ける事かと思います。

あと、15年はかかるかな?、楽しみです

 参考資料

1.「としとらず川」不老川浄化活動10年の歩み 不老川をきれいにする会

2.「大森の池から」第1号  大森の池ファンクラブ                   (記録:小見寺公一)

                                      

会の連絡先  大森の池ファンクラブ 日比 TEL・FAX 042-963-7394

 

 

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