雑木林の管理技術(2)

2.なぜ里山の管理が必要か

おとぎ話しの「おじいさんは、山へ柴刈りに。おばあさんは川へ洗濯に・・。」は、昔の生活の情景です。シバ刈りと言えば、若い人は芝生の刈り込みしか思い浮かばないでしょう。しかし、昔どころか、つい30年ほど前まで、里山での柴刈り、つまりアカマツ林やクヌギ・コナラの雑木林の下に生えてくる低木の刈り取りは、燃料として農山村の生活に欠かせないものでした。上木のアカマツやクヌギ、コララは、薪や炭の材料になり、農山村の重要な収入源であり、これらを早く大きく育てるためにも、柴刈りは必要でした。薪や炭は都市に送られ、日々の燃料に使われましたから、里山での柴刈りは都市住民の生活とも、切っても切れない関係にあったのです。

里山での柴刈りは3〜5年ぐらいおきに、また、薪や炭にするための上木の伐採は15〜30年ぐらいおきに繰り返されました。ただし、全山を一度にしないで、毎年少しずつ順番に行い、しかも細い木は伐採せずに太くなるまで切り残されました。クヌギやコナラの切り株からはすぐに新芽が伸び、またアカマツ林では、残された母樹や周りの林から飛んできたアカマツの種が、いっせいに芽を出し、すくすくと生長して元の林にもどっていきます。こうして、毎年一定量の燃料を収穫しながら、それが里山の手入れの役割を果たし、また林を若返らせ保全していたのです。

このように手入れされていた里山は、明るく開放的で、美しいものでした。新芽の萌え出る春はツツジやヤマザクラが咲き誇り、初夏は爽やかな若葉、秋は紅葉、それに落ち葉の敷き詰めた冬枯れの雑木林。松風わたるアカマツ林も四季折々に風情があり、親しみやすく、魅力的な里山は、単に生産の場であったのみならず、「遊山」の場でもありました。また、伐採された時期や柴刈りの時期の違う違う林が、様々に組み合わさった里山は、高い木や低い木、密な林に疎らな林、茂みのある林と無い林、暗い林や明るい林、それに伐採直後の野原など変化に富み、多くの動物や鳥たちにとっても住みやすく、魅力的でした。

しかし、30年程前から燃料が炭や薪からガスや石油に替わったことや、農業において化学肥料の普及などにより、里山のアカマツ林やクヌギ・コナラの雑木林は、それまで果たしてきた役割を失い、里山の柴刈りも、伐採もしなくなりました。そして、林はどんどん密生し、薄暗くなり、このことにより春になってもツツジの花もヤマザクラの花も咲かなくなったばかりでなく、明るい里山だったからこそ花を咲かせ生きていくことができた多くの植物が立ち枯れ、姿を消しているのです。そうするとそのような植物の実を食べたり、そのような植物につく虫を食べていた明るい林の好きな動物や鳥たちもまた住めなくなります。代わりに、暗い場所でも生きていくことができる常緑広葉樹だけがどんどん増えていきます。やがて将来は、アカマツ林やクヌギ・コナラの雑木林も消えて、里山は常緑広葉樹に覆われるようになるでしょう。しかし、「それが自然の姿であり、大昔、人間が手を加える前の本来の自然林に戻っているのだから喜ばしいことだ。」と言う人もいます。それはその通りなのですが数千年もの間、人間の生活と深いかかわり持った里山が、全くその関係を失う時、次には破壊の恐れがあるのです。それは、おばあさんが川で洗濯しなくなり水道を使うようになると、川が生活から遊離してしまい、みんなが川を大事にしなくなって、水は汚れ、ゴミだらけの川になったのと同じです。

 

 

                                   

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